魯迅「故郷」あらすじと魅力:過去、現在、未来という時空

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魯迅(ろじん)の「故郷」は、筆者の大好きな作品です。

特にストーリーの結末(ラストのクライマックスシーン)が、いつまでも心に残ります。魯迅と日本の関係、そして中国との関係、書きたいことはいろいろあります。

今回「過去、現在、未来という時空」を副題として、その魅力を探っていきたいと思います。

 

室生犀星「抒情小曲集」

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

ふらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや

 

「故郷」それは、誰にとっても懐かしく、しかし苦しくもあるカオスです。

魯迅の「故郷」には、混沌としたその心情が、見て取れます。そして自分の心のなかを見ているような不安に襲われます。

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魯迅「故郷」あらすじと内容について

主人公のシュンは、故郷へ帰ってきます。実家を整理し母を引き取るためです。シュンは「迅」つまり、作者のようです。

二十年ぶりの故郷はすっかり荒廃し、我が家も荒れ果てて、シュンは暗い気持ちになります。美しかった近所の女性は「コンパスのように」なり、人のあら捜しばかりします。

そんななか、幼いころ遊んだ「閏土」-ルントウがやってくる、と母から聞いて、心が弾みます。ルントウは、シュンの家の小作人の子です。幼いころ聞かされた、ルントウのふるさとの西瓜や海岸の美しい砂や貝殻の話。

そして届いた贈り物たちは、いまでもシュンにとって「神秘の宝庫」なのです。

しかし、やってきたルントウは、生活に疲れ果て、昔の面影はありません。しかも「だんな様」と、シュンを呼びます。

ただ、ルントウの連れてきた息子の「水生」-シュイションと、シュンの甥の「宏児」-ホンルは、昔の自分たちのようにすぐ仲良くなります。

家財道具は、すべて無償で譲るという母に、ルントウは必要なものだけ持っていくと言います。その中に香炉と燭台があったことに、シュンは笑ったのです。偶像崇拝もいいかげんにしろよ、と。

船に乗って故郷を離れるとき、ホンルが「いつ帰ってくるの」と尋ねます。なぜなら、シュイションの家に行く約束をしたから。でも別れのとき、ルントウはシュイシュンを連れてきませんでした。

遠ざかる故郷の山水を眺めながら、シュンは「美しい記憶が薄らぐことが、なにより悲しい」と思います。シュイションとホンルが、自分たちのようになることは望まない、とも思います。

しかし、自分のその希望はただの偶像ではないのか、ルントウの偶像崇拝となにも違わない、と恥じるのです。

満月に照らされた海の上の船に揺られながら、シュンは思います。

道は、初めからあるのではない。人が歩いて初めて、道ができるのだ。

魯迅「故郷」の魅力‥なぜ読み継がれるのか?

魯迅(ろじん)という人

とても短い文章です。ただ、いろいろな要素がありすぎて、純粋に読んでいない、という気がします。

一つは作者、魯迅とその人生。彼は20世紀初頭の激動の中国で、小説家として数々の作品を世に問いました。有名なのが「阿Q正伝」です。清朝の崩壊、辛亥革命から袁世凱の覇道、さらに日本軍の侵攻。あの時代を背景に、一人の青年が時代に翻弄され崩壊していくさまを描いて、胸の痛くなる作品です。そんなこともあっただろうと思うと、なおさら切なくなります。

魯迅は、東北大学で医師を志していました。しかし、日本軍の侵攻に抵抗できない中国の人々を、在学中にニュース映像で見てしまうのです。そして、「体を治すより中国の人の精神を作り上げたい、文学によって」と決心します。

彼の発表する作品は、新しい中国を模索する為政者の指針になります。孫文や毛沢東が、彼に注目するのです。

そんな状況では、どんな小説を書いても「政治的意図がある」と、思われかねません。魯迅の作品は、政治の色メガネで見られすぎだと、思うのです。

政治的メッセージが込められている、という思い込み

でも、魯迅には、そんなつもりはないと思います。魯迅が文学でやりたかったことは、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」を執筆してロシア革命をアジテートしたのとは、ちょっと違うでしょう。とくに短編では。

先入観がどれだけ意味のないものか。たとえばベートーベンの「運命」の冒頭。あの音は借金取りがドアをたたく音、とかいろいろ言われます。ときは産業革命まっさかり、あちこちでトンテンカン鉄を叩いてる音が、ベートーベンには耐えられなかった、という説もあります。でも、そんなことはどうでもよくて、あの音が私たちにもたらす不安、そしてそのあとの美しい旋律。それが重要なのです。

小さく、一時代の一個人の話にしてしまっては、この小説の普遍性はありません。

私たちは、故郷に対して、幼いころの自分に対して、シュンと同じ気持ちになるはずです。久しぶりに訪れた、幼いころの遊び場が住宅地に変わっていたり、大きな川だと思っていたのに意外と小さかったり。あるいは美人だと思い込んでいた人がそうでもなかったり。故郷は「神秘の宝庫」なのです。だからこそ、室生犀星のいうように「帰るところにあるまじき」なのです。

ふるさと、自分が幼かったころ。子供のころは毎日がキラキラしていました。いろんなガラクタが宝物でした。大人になるにつれ、それは遠い記憶になります。

「廃墟ほど美しいものはない、それは記憶だから」という意味のことを、多田富雄さんは言っています。世界的免疫学者の言う記憶は、ほんとに深いものでしょう。生命は、DNAという記憶装置をたよりに生きているのですから。

記憶、希望、そして「道」

でも、シュンも気づいたように、記憶も、そしてルントウが敬う偶像も、さらには未来への希望すらも、「有るのかないのか、わからないもの」です。それは頭の中にしか、存在しないものだから。

ここで、登場人物の配置が見えてきます。

母は、記憶に生きる過去の人、甥のホンルは未来を生きる人、
そして自分とルントウは?ほんとうに宙ブラリンなのは、自分なのだ、とシュンは、気づいたのではないでしょうか。

ルントウは土に生きる人です。スイカを害獣から守り育てるのです。「偶像崇拝」という、彼にとっては確かなものも持っています。息子のシュイションを連れてこなかったのも、自分と同じ悲しみを味合わせたくなかったからです。

ほんとうに傷ついていたのは、ルントウなのです。教養もなく、稼ぐ手立てもなく、社会変革などとは無縁のルントウが、人間として確かなものを持っているのです。では自分は?

この文章を読むと、ゴーギャンの傑作「我々はどこからきたのか、我々とはなにものか、我々はどこへいくのか」が浮かびます。

舞台は海の上、満月。人類は海から陸に上がってきた、そうです。とすれば「海」は、故郷です。人類のふるさと、海。そこでシュンは、道について考えます。

「道」といえば、老子の「タオ-道-」を連想します。無為自然、それが道となる。そこに「希望」を見出してもいいのでしょうか。希望なんて捨てろ、と老子さまに怒られそうです。

なんだか禅問答のようになってきました。「希望」という、わけのわからないものを頼りにするしかない現代人への、警告、といっては言い過ぎでしょうか。わたしは、ルントウの、絶望の果ての腹の座った生き方が、心に残ります。

いろんな読み方ができる文章こそ、読み継がれるのだと思います。「故郷」は、そんな一冊です。

 



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