志賀直哉の代表作「暗夜行路」あらすじ、女性が読むべき理由

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文学特集

志賀直哉の唯一の長編「暗夜行路」は、自伝的小説である、と言われてきました。なぜなら、この小説を書く前、私小説「時任謙作」を書いていたからです。

「暗夜行路」と主人公の名前が同じなので、内容も私小説か、と思いたくなるのです。自伝としては、「城崎にて」「和解」が知られています。

志賀直哉も「私情を超越するための困難」と言っていますから、創作であることは確かです。

ではなぜ、自伝と同じ名前を使ったのか?

まず、あらすじをおさらいしましょう。

暗夜行路は「前編」と「後編」に分かれています。

   

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「暗夜行路」あらすじ

「前編」あらすじ

時任謙作(ときとう けんさく)は、幼いころ母を亡くし、父や兄から離されて祖父と暮らします。祖父亡きあとは、祖父の愛人だったお栄と暮らしています。生活費は父からの仕送りで、小説を書いて日々すごしている、お気楽なのに神経質な青年です。

謙作は愛子という、母の幼馴染の娘に結婚を申し込みますが、体よく断られます。自尊心を傷つけられた謙作は芸者遊びに熱中します。ところが20も年上のお栄を意識するようになり、ひとり尾道へ転居します。

ここで謙作は自伝小説を書き始めます。このとき思い出すことは、作者である志賀直哉の幼いころの思い出でしょう。この辺りが「自伝的」と思われるのかもしれません。

ところが小説は書けず、金毘羅詣りなどして孤独を感じた末に「お栄と結婚しよう」と、唐突に思うのです。祖父の愛人で、20歳も年上の女と。

それを信頼する兄、信行に手紙で打ち明けると「お前は祖父と母の子だ。父の子ではない」という手紙をもらいます。

憔悴して東京に帰った謙作は、またお栄と暮らします。居を移し心機一転のつもりでも、ますます虚ろになる謙作。兄、信行は会社をやめ、禅の修業を始めます。

「後編」あらすじ

京都へ来た謙作は、ひとりの女性に目を留めます。直子といい、「鳥毛立屏風」風の美女です。信行や友人の奔走で話は順調に進み、二人は結婚します。お栄は、旧知の女性と天津へ旅立ちます。

初冬に結婚し、秋には直子の出産。ところが、お栄が大連でひとり窮地に陥っていることが分かります。そんな矢先、生まれたばかりの男児が丹毒で亡くなってしまいます。

出産の日、演奏会でシューベルトの「魔王」を聴いていた自分を、悔やむ謙作。苦しむためだけに生まれてきた我が子を境に、無邪気だった直子も病に苦しみます。またも運命に苦しめられる自分を感じます。

気分転換を兼ねて、京城までお栄を迎えにいく謙作。ところがお栄を連れて京都に帰ってくると、直子が従兄の要に無理やりの関係をされていたことが判明。また運命に苦しみつつも、謙作は「自身の内にあるものとの闘争」という思いに至ります。長年の友人の末松は「それでいいのじゃないかな。それを続けて、結局憂いなしという境遇まで漕ぎつきさえすれば」と、励まします。

直子の妊娠が発覚。自分の子であることに間違いはないのですが、もとから癇癪もちの謙作は、なにかと直子に当たるようになります。しかし、一月末、謙作が法隆寺に出かけているうちに、女児が誕生しホッとします。

頭の整理のつかない謙作は、ある日、汽車に乗車する瞬間に、直子を突き飛ばします。そして直子に「貴方が私の悪かった事を赦していると仰りながら実は少しも赦していらっしゃらない」と言われます。それでも「お前を憎んでいるとは自分でどうしても思えない」と言い張る謙作です。

謙作は、伯耆大山へ行くことにします。行く先で大乗寺の応挙の絵に触れたり、野に咲く草花を眺めながら大山へ登ります。そして寺坊ですっくり過ごし、それでも疑いを持ちつつ「今までなかった世界が自分に展けた喜び」と、直子あてに手紙を書きます。しかし、そんな聖地にも、男女のもつれ事があったのです。

体調の悪いのをおして山へ登った謙作は頂上へは行けず、山中で夜を明かします。そして明けゆく大山をみて感動を覚え、宿に帰って意識不明になります。大腸カタルという診断で、ひまし油を飲まされ、謙作は夢うつつながら自分がどんどん浄化されていくのを感じます。それとは反対に、脈がわからないくらいになっていきます。

直子が駆けつけますが、あまりの容態に驚きます。しかし謙作は「実にいい気持なのだよ」と言います。直子は「この人はこの儘、助からないのではないか」と思い、そして「何所までもこの人に随いて行くのだ」と思いつづけます。

解説1)父と息子の争いの影に女あり

志賀直哉は、明治16年生まれ。祖父・父ともに明治の政財界の重鎮で、志賀も学習院から東京帝大というエリートコースです。しかし、幼くして祖母に育てられ、父とは長い間、不仲でした。そして、それが原因で尾道に居を構えます。このあたりは「暗夜行路」に生かされています。

そもそも、父と息子の争いは、オイディップス、カインとアベル、ヤマトタケルなど、枚挙にいとまがありません。つまり、人類の永遠のテーマといってもいいでしょう。

「暗夜行路」には、二つの衝撃があります。一つは、前編、実の父が祖父であったこと。もうひとつは後編、「妻の不義」です。いずれも母と妻、つまり「いちばん身近な女性の罪」です。

ギリシャ悲劇「オイディブス王」は、自分の父と知らず暴君を殺し、その妻(自分の母)と結婚します。「ハムレット」にも、父を殺して王になった男と結婚する母を、厳しく責める場面があります。すべては、妻や母が苦しみの原因だと、志賀直哉(時任謙作)は、言うのです。

それは「母」という立場の「女」です。「妻」という立場の女です。女がいるから、男の人生はややこしくなるのだ、と。

主人公の時任謙作は、いつも女に振り回されています。女にはすこぶる厳しいのに、だからこそ運命のいたずらに悩まされるのです。

解説2)固執からの解放 自然の力

「暗夜行路」が素晴らしいのは、あらすじの面白さではないようです。

時任謙作の精神の揺らぎが、美しく描写されているからでしょう。

それは文章の力です。まさに「文章の神様」の仕事です。

様々な女性たちの外観や表情の変化で、主人公の好みや気持ちを表します。謙作が周りの何を見、どう反応するか、が、細かく、しかも丁寧に描かれています。いじわるで辛辣な観察力が、存分に発揮されています。

たくさんの女性たちが、入れ替わり立ち代わり登場しますが、観察と分析が変化していきます。このあたり読んでください。「男って、女のこんなとこ、見てるのね」と。

運命に翻弄されるたび、女性への思考も深くなります。「元々女は運命に対し、盲目的で、それに惹きづられ易い。それ故周囲は女に対し一層寛大であっていい筈だ。」というわりに、自分は厳しい、という矛盾は誰もが持っているものです。そこでまた、苦しむのです。

兄である信行という人の、まっすぐな誠実さが、印象的です。この人が唯一、救いです。たぶん、この兄は、志賀直哉が尊敬していた内村鑑三と夏目漱石がモデルではないかと思います。

で、謙作は、運命の苦悩から、どう立ち直るのか。それが大山です。大自然の力で、自分がどんどん変化していきます。これは実は「城崎にて」にも使われた表現法です。

志賀直哉の真骨頂といっていいでしょう。

女性、読むべし ~女性におすすめしたい理由~

父と子の確執というかたちを取りながら、実は父親も、母の罪に傷ついていた同志だった、ということです。ともに「罪深い女」に人生を振り回された男たち。

女批判の小説ともいえますが、しかし、最後は「どうだっていい」という境地になるのです。敗北も勝利も、加害も被害も超越した境地。それは女・男を超えている。

男のための小説、と思われていますが、ぜひ、女性に読んでいただきたい。男の女に対する批評眼のすごさが、実感できる文章です。

でも、周囲の人に支えられ、我儘に生きている主人公。それに対して実家に帰ることもできない妻の直子。最後には「この人について行く」という妻の言葉が残る。そこまでくると、生き死には、もう関係ない。

筋としては時任謙作という男の我儘物語ですが、そこに女性批判があったり自然の描写があって、読み応えがあります。

細部が光っているのです。小説って、いろんな読み方ができるんですね。

最後に再び、ぜひ女性のかた、お読みください。男性心理研究のために。

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